レビュアー騎士団第二回第六場が更新されたわけですが
2012-04-24
レビューを書くことが目的になっちゃいけないよなぁ、と思っていたのだけれども、とにかくなんでもいいから書き続けることを目的にしてもいいんじゃないかと考え直した。作品に触れてそこで受け取ったものを自分の言葉としてここまで真剣にアウトプットする機会ってそうそうない。書くために読む。無理矢理にでもその作品に近く触れ続ける行為。本末転倒なようでいてどっこいそうでもない。何も書くことがないなんて作品もそうそうないらしい。ただ自分が気づかなかっただけなのだと思う。書くために、読み返す。だいたい新たな発見がある。
あれ、書き続けることに対しての結論って本当はこれじゃなかったんだけど、途中でそれちゃった。思ってることに対して実際に書いてることが変わってたりするからびっくりだよね、書くって。でもどちらも嘘じゃあないっていう。これ直さずに行こう。まったくびびっちゃうぜ。
さてレビュアー騎士団第二回第六場はとっくに更新されていて本日の日付は七場の更新日(をいつのまにか過ぎていた……のに七場更新されてないぜ!)というもうこのパターン常態化?
私をおわらせる爽やかさ
6rinさんによる泉和良『私のおわり』レビュー。書くことの難しさを感じながら、でもえいやと決めて書いちゃう(あるいは書かない)ことにする爽やかさ。6rinさんが感じるその爽やかさをこの作品にも感じるのだという。「拒否しつつ受け入れることの爽やかさ」。さらに最後まで「爽やか」であり続けたこの作品に自身にないものを見出し惹かれるのだ。
私もレビュー書いて送ってるわけだからなるほどなぁと思ってしまう。このレビューは冒頭から自分のことかと感じちゃったわけだよね。さやわか団長言うところの「誠実な書き方」というのは私も感じていて、それもまた「私のおわり」のどこか静かで穏やかな雰囲気と重なっているように思う。
夫婦漫才
ヨシマルさんの紅玉いづき「青春離婚」レビュー。うまい! って思ったよね。漫才。これ書くために今までに掛け合いレビューやってたのか……!(違う) いやもう団長が色々言ってるし、うまい!の一言で片付けたい気分。こいつぁ一本取られたぜというあの読んだ瞬間の気持ちが全てであるような気がする。内容分析も相変わらずなるほどだけど、この掛け合い形式への意味ってのが心憎かったのだ。
で、自分のレビュー……と行きたいところなんだけど、今回は載らなかった。実はレビューを送って載らなかったのは今回が初めてなので「あーついにレビューになっていないものを書いてしまったかぁ」と残念な気持ち。細々とでも掲載され続けるってひとつの目標だったしね。最初に言った書き続けることの表れとして。うーん、今回のレビューはどう直したらレビューになるんだろう。なるほど掲載されないってすなわち何も言われないからあれだ。
つまらないね!
そうそう。自分の書いたものに何か言われるのが面白いなぁと思ったからレビューを送り続けたんだった。なんか思い出したね。次回を期すよ!(っていうかもう送ってるしもうすぐ結果わかるんだけど……)
あれ、書き続けることに対しての結論って本当はこれじゃなかったんだけど、途中でそれちゃった。思ってることに対して実際に書いてることが変わってたりするからびっくりだよね、書くって。でもどちらも嘘じゃあないっていう。これ直さずに行こう。まったくびびっちゃうぜ。
さてレビュアー騎士団第二回第六場はとっくに更新されていて本日の日付は七場の更新日(をいつのまにか過ぎていた……のに七場更新されてないぜ!)というもうこのパターン常態化?
私をおわらせる爽やかさ
6rinさんによる泉和良『私のおわり』レビュー。書くことの難しさを感じながら、でもえいやと決めて書いちゃう(あるいは書かない)ことにする爽やかさ。6rinさんが感じるその爽やかさをこの作品にも感じるのだという。「拒否しつつ受け入れることの爽やかさ」。さらに最後まで「爽やか」であり続けたこの作品に自身にないものを見出し惹かれるのだ。
私もレビュー書いて送ってるわけだからなるほどなぁと思ってしまう。このレビューは冒頭から自分のことかと感じちゃったわけだよね。さやわか団長言うところの「誠実な書き方」というのは私も感じていて、それもまた「私のおわり」のどこか静かで穏やかな雰囲気と重なっているように思う。
夫婦漫才
ヨシマルさんの紅玉いづき「青春離婚」レビュー。うまい! って思ったよね。漫才。これ書くために今までに掛け合いレビューやってたのか……!(違う) いやもう団長が色々言ってるし、うまい!の一言で片付けたい気分。こいつぁ一本取られたぜというあの読んだ瞬間の気持ちが全てであるような気がする。内容分析も相変わらずなるほどだけど、この掛け合い形式への意味ってのが心憎かったのだ。
で、自分のレビュー……と行きたいところなんだけど、今回は載らなかった。実はレビューを送って載らなかったのは今回が初めてなので「あーついにレビューになっていないものを書いてしまったかぁ」と残念な気持ち。細々とでも掲載され続けるってひとつの目標だったしね。最初に言った書き続けることの表れとして。うーん、今回のレビューはどう直したらレビューになるんだろう。なるほど掲載されないってすなわち何も言われないからあれだ。
つまらないね!
そうそう。自分の書いたものに何か言われるのが面白いなぁと思ったからレビューを送り続けたんだった。なんか思い出したね。次回を期すよ!(っていうかもう送ってるしもうすぐ結果わかるんだけど……)
レビュアー騎士団第二回第五場はとっくのとうに更新されており
2012-04-02
しかし本日は第六場の更新日である。この体たらく。されど続ける。
レビューとして書きたいものはたくさんあれど言葉にする力が追いつかない。頭の中の下書きがたまっていくばかり。よし今回は三本送るぞとだいたいいつもそんな気概でいるのだけれど気づけば送っているのは一本だけとか。だいたい締切日の最後の一分までねばってます。だから見直ししてなくていざ掲載されてみると、あれこんなんだったっけというのがしばしば。寝かせる時間は作りたいねぇ。
そんなわけでレビュアー騎士団第二回第五場である。常のごとく私の心に残ったものを。
Feel or think!
ヨシマルさんによる原くくる『六本木少女地獄』の表題作「六本木少女地獄」レビュー。正直そう落としちゃうのかと思ったけど、全体を見るとその結論は全く唐突ではないし冒頭から一貫しているのでなるほどこれはありか。この作品はモチーフとされるものが結構わかりやすく散りばめられているんだけど、変転していく舞台に惑わされてそのモチーフの意味を理解するのが一読二読くらいでは難しい。だからこうやって整理していくということはすごく大事だと思う。特にこういう作品の場合、丁寧にモチーフを読み解くということ、それが「言葉を拾って並べただけ」だとしても、これはレビューになるのではないかな。どんな世界が埋め込まれているのか。その並べ方もレビュアーの味が出るんじゃない?
あ、今回は一本のみで。
で自分の。
画集版竹画廊探訪
『竹画廊画集 2010-2011』のレビュー。本当は『銀河鉄道の夜』とか『六本木少女地獄』のレビューを書こうとして挫折して、土壇場になって書けそうな気がしたこちらに切り替えた。最初はつらつらとこの作品を手にとった状況を書いていこうと思っていたらこれはうまくいけば銀をとれる書き方ができるのではと思い、そのように書いた。あからさまに銀を狙いに行ったレビュー。こういうことは初めてやった。銀もらえたから言えるんだけどね。
しかし掲載されたのを改めて読んでみると、この文章なんか嫌い。鼻につくわ。
自分の書いた文章なのにふしぎだね。
レビューとして書きたいものはたくさんあれど言葉にする力が追いつかない。頭の中の下書きがたまっていくばかり。よし今回は三本送るぞとだいたいいつもそんな気概でいるのだけれど気づけば送っているのは一本だけとか。だいたい締切日の最後の一分までねばってます。だから見直ししてなくていざ掲載されてみると、あれこんなんだったっけというのがしばしば。寝かせる時間は作りたいねぇ。
そんなわけでレビュアー騎士団第二回第五場である。常のごとく私の心に残ったものを。
Feel or think!
ヨシマルさんによる原くくる『六本木少女地獄』の表題作「六本木少女地獄」レビュー。正直そう落としちゃうのかと思ったけど、全体を見るとその結論は全く唐突ではないし冒頭から一貫しているのでなるほどこれはありか。この作品はモチーフとされるものが結構わかりやすく散りばめられているんだけど、変転していく舞台に惑わされてそのモチーフの意味を理解するのが一読二読くらいでは難しい。だからこうやって整理していくということはすごく大事だと思う。特にこういう作品の場合、丁寧にモチーフを読み解くということ、それが「言葉を拾って並べただけ」だとしても、これはレビューになるのではないかな。どんな世界が埋め込まれているのか。その並べ方もレビュアーの味が出るんじゃない?
あ、今回は一本のみで。
で自分の。
画集版竹画廊探訪
『竹画廊画集 2010-2011』のレビュー。本当は『銀河鉄道の夜』とか『六本木少女地獄』のレビューを書こうとして挫折して、土壇場になって書けそうな気がしたこちらに切り替えた。最初はつらつらとこの作品を手にとった状況を書いていこうと思っていたらこれはうまくいけば銀をとれる書き方ができるのではと思い、そのように書いた。あからさまに銀を狙いに行ったレビュー。こういうことは初めてやった。銀もらえたから言えるんだけどね。
しかし掲載されたのを改めて読んでみると、この文章なんか嫌い。鼻につくわ。
自分の書いた文章なのにふしぎだね。
2012年2月の読書メーター
2012-04-01
と思いきや今月もまとめるの忘れた。こりゃこりゃ。
角川文庫にて再刊の須賀しのぶ『帝国の娘』がとてもよかった。続きも再刊してくれると嬉しい。
あきさかあさひ『誰よりも優しいあなたのために』があまりにも優しい物語だったのでブログに書こうと思ったが未だ下書きのままだ。こうして日々は過ぎていく。
小松左京『果しなき流れの果に』をようやく読んだ。もはやいまさらと言われてしまうかもしれないけれど小松左京は自分にとって大切な作家となるような気がする。
あとはファミ通文庫の新人賞を中心に。『耳刈ネルリ』シリーズのあの石川博品を輩出し、翌年に『空色パンデミック』『』ココロコネクト』『B.A.D.』と、後に伝説の11期と呼ばれる(私は呼んでいる)レベルの高い作品・新人を送り出したファミ通文庫えんため大賞に私は毎年期待することにしているのである。
3月の読書メーターはまとめられるのだろうか。
角川文庫にて再刊の須賀しのぶ『帝国の娘』がとてもよかった。続きも再刊してくれると嬉しい。
あきさかあさひ『誰よりも優しいあなたのために』があまりにも優しい物語だったのでブログに書こうと思ったが未だ下書きのままだ。こうして日々は過ぎていく。
小松左京『果しなき流れの果に』をようやく読んだ。もはやいまさらと言われてしまうかもしれないけれど小松左京は自分にとって大切な作家となるような気がする。
あとはファミ通文庫の新人賞を中心に。『耳刈ネルリ』シリーズのあの石川博品を輩出し、翌年に『空色パンデミック』『』ココロコネクト』『B.A.D.』と、後に伝説の11期と呼ばれる(私は呼んでいる)レベルの高い作品・新人を送り出したファミ通文庫えんため大賞に私は毎年期待することにしているのである。
3月の読書メーターはまとめられるのだろうか。
「創る人52人の2011年日記リレー」(新潮2012年3月号)
2012-03-11
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日記。しかし読まれることを想定されているそれは、否応にも物語となる。
「100年保存大特集」と銘打たれたこの日記リレー。52人の創る人(書く・描く・建てる・奏でる・撮る・舞うetc)がひとり1週間の日記で52週=1年をつなぐというもの。
2011年の日記。これはもう読む前から自分がこれからどう読むのか、その態度がわかっていた。3月11日という基準点を元に、それ以前、それ以後と分けて読もうとするのだ。読んでしまう。これは不自然なことだ、と意識しないようにするのだがもうそうしている時点で十分不自然なので如何ともしがたい。自らの経験でもってその日を明らかに覚えているのだからそれは自然なことなのだと納得する。ことにする。
そのようなわけで2011年1月1日、小説家の古井由吉から「その日」に向かって震災以前という物語が展開される。あの地震が起こることを知らない人たちの物語。既に震災以後を知っている読者から「知っている」ことへの優越か、あるいは「知らない」ことへの羨望か、そのような複雑な視線で読まれてしまう物語。
やがて綴られていく日々は3月11日に辿り着く。その日の日記は写真家の石川直樹によって描かれる。これもまた劇的とすら言える。彼の日記は3月5日から始まる。実は彼はその時点で南極にいるのだ。そして船に乗り、飛行機に乗り、3月10日の夜に日本に帰ってくる。そして11日を迎える。彼は地震を体験した。あまりにも出来過ぎているように感じてしまう。そんなはずはないのに。意図されたはずはないのに。石川は11日の最後を次のように締めくくり、次の担当者にバトンタッチする。
こうしてあの日が過ぎていき、ぼくはその後の世界へと入っていくことになった。
2011年日記リレー、第一部の物語「震災以前」が終わった。そんな標題はどこにもついていないが。そして第二部の物語「震災以後」が幕を上げる。その後の世界。無論、そんな標題もない。
3月12日は文芸評論家の福田和也から始まる。東京。淡々と書き付けられるその日の光景。感情を抑えるかのように。いや、これも私がそう見て物語にしてしまうだけなのだろう。地震の混乱はうっすらと背景に佇んでいる。その後のバトンの保持者は震災直後を描写しながらもやはり淡々と日々を送る。それぞれの生活。創ることに対する情熱。家族のこと。過去のこと。そこに激しさはない。当然、直接の「被災地」の只中にいるわけではない(直後にいたら書けないだろう)のでそれは当たり前の日常なのだ。それでも既に第二部というバイアスでもってその日々を読んでいる。どこかに震災を読み取ろうとする。もちろん震災があったのは事実であるし、日記を書く人々の生活に影響を与えているのもわかる。被災者の存在を無視しているわけでもない。問題は読者である私自身が「震災以後」を物語にしてしまうことだ。そうして読んでしまっていいのだろうかという恐れだ。
震災から一年が経った今、様々な震災以後が描かれる。文芸誌においても毎月どこかで必ずと言っていいほど震災以後が描かれる。私はそれらをどう捉えていいのかわからない。一年経ってもわからない。読んでいて、この作家は描きながら自分で困惑していると思えるものもある。更に困惑する。それらの物語、あるいは物語ではない小説に対して自分は様々なことを思う。しかしそれをどのように口に出したものか、口に出していいものなのか、迷い、結局口をつぐんでしまう。この日記の物語化への恐れはそのあたりにあるのだと思う。
とりとめもなくなってしまった。
2011年12月31日、小説家の大江健三郎によってこの日記はゴールを迎える。大江の、それまでの雰囲気から浮いているような、とってつけた風にさえ見えるあの最後の段落。自分にとって、どう受け止めるべきか狼狽えた2011年に重なってどうにも居心地が悪い。
結局のところ、この日記リレーはひとつの作品だった。
古井由吉に始まり、大江健三郎で終わることを意図された物語。この一週間はこの人、次の一週間はあの人とあらかじめプロット立てられた物語。その一週間も始まりがあり、終わりがある。それを書き手は知りながら書いている。一週間が起承転結のようになっているものもあれば、そうでないものもある。それでもやはり最初の日があり終わりの日があるので物語と化す。
12月13日、小説家の瀬戸内寂聴はこのように記す。
日記は私の九十年の生涯で、一度も二ヶ月と続いたためしがない。面白いことなら小説にしたいと思ってしまう。作家の日記はすべて公表することを前提に書かれていると思う。私小説に決して本当のことが書いてないように、公表する下心の日記に本音は書いてないだろう。
公表する下心。やはりこの日記は作られたものなのだと思う。書かれたことが嘘だと言っているのではない。下心とは決してネガティブな意味合いにだけとられるものでもない。それは読者に届けようと意図された日記。とりとめもない心情の吐露でもない、単なる事実の羅列でもない、数多にある2011年の物語のひとつ。そのように届けられた作品を読者はさらに自分の物語として受け止める。経験として、記憶として。
書かれたものに対して何をもってしても私は何かを思うのだろう。
震災で変わったと思う人。変わらないと思う人。様々にいると思う。私はどうだろう。強いて言えば変えられていく、か。変わったと思う人、変わらないと思う人によって。何かを思う人々によって、その表出に変えられていく。しかしそれは震災がなくても同じではないか。人々の間に生きている限り、それは常に生じていること。至極当たり前のことを今更感じているのか。
新潮の4月号が既に発売されている。
「100年保存大特集」はまだあるらしい。
「震災は、あなたの<何>を変えましたか? 震災後、あなたは<何>を詠みましたか?」
「変えた」という前提の問い。この特集タイトルを目にした途端、やや拒絶したくなる気持ちに襲われた。あまりに露骨と思ったか。何かを恐れたのか。しかしそれもひとつの役割なのだろう。それに結局読むのだろう、私は。そして何かを思うのだろう。
2012年1月の読書メーターまとめ
2012-03-03
と思いきやまとめるの忘れてた。
いつか読書メーターのまとめが過去にさかのぼって月単位でまとめられるようになることを祈念する。
年頭に読んだ粕谷知世『終わり続ける世界のなかで』がとても印象に残っている。
いつか読書メーターのまとめが過去にさかのぼって月単位でまとめられるようになることを祈念する。
年頭に読んだ粕谷知世『終わり続ける世界のなかで』がとても印象に残っている。


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